本当は答えは決まっているのかも

本日、人生に迷い過ぎたわたしは占いに行ってきた。未来のことは誰にもわからないし、占い師の言うことがなにかの足しになるのかわからないけど、単純なわたしには何かの効果があるかもしれないと。
良いことも言われたし、悪いことも言われたし、迷いは迷いのままだけど。正直、悪いことしか言われない謎の予感があったので、行って良かった気はしてる。
結局は自分で決めるしかないのだよ。後悔はどうしたってするものだ。きっとわたしのことだから最後はえいや!って勢いに任せる気がしてる。だいたいいつもそんな人生だから。それで失敗することもあるけど、それを悔いることはあんまりないから、思い切りって大事だよ。直感力あるって占い師さんに言われたから(なんだかんだめちゃくちゃ信じちゃう、ちょろい)あと今年は12年に一度のモテ期だって言われて、ちょっと心当たりあるなぁってなった。いや気のせいかもしれない。気のせいだな。このわたしがモテなどおこがましい。調子に乗るな。はい。

なんとなくスッキリしたような気持ちで家に帰って、なんとなく映画を観たんだけど。
その映画の予告を観てて感動する系だと思ったいたら、めちゃくちゃ胸糞が悪い映画で。なんて映画かは言われないけど、わたしにとって地雷過ぎて、刺さりまくってめちゃくちゃ鬱なったんだけど、どうしてくれる。
主人公に感情移入しすぎて、吐きそうな気持ちになったよね。主人公の母親が「後悔はしてない」って言ったシーンの気持ち悪さと言ったら…。これだけでなんの映画か伝わった人がいたら仲間だな。きみも同じトラウマ持ちかな?
そうか、強く生きろよ、きみはなにも悪くないから。わたしも強く生きるよ。こんなふうに不意に容赦なく突きつけられるけど、それは過去だから大丈夫。きみが何かを損なうことなどないよ。許せないなら許さなくていい。きみの傷ついた気持ちを誰も否定なんてできない。ただ明日の糧になる日がいつかくるといいねって、わたしはそれを願うよ。今日もちゃんと生きてて偉いね。はなまる満点。おやすみ。

心が貧しいのは嫌だよね


生きていると嫌なことがたくさんある。その嫌なことは各々違うけど、自分にとって一番嫌なことってなんなんだろうかとふと考える。
自分が自分らしくいられないのは嫌だなあと思うけど、果たして、らしさとは?自分を自分と定義するのが自分ならば、その様はどうとでもなるし、極論どうでもいいとすら言えるのでは?などと禅問答をはじめたいわけではなく。
もっと現実的な問題として嫌なことはなんだろうかと考えると、わたしにとっては貧しいことが嫌かもしれない。贅沢したいという気持ちはあまり抱かないけれど(されど美味しいものは食べたいし物欲のままに何かを手に入れたい時もあるが)毎日、数百円、数十円の金額の差に惑い明日のご飯の心配をするのは嫌なのだ。下世話な話のようだが本当に金がないというのはしんどいだろうなあと想像でも十分に思う。世の中、金で解決することは結構あるし、それは最後の救いにだってなるかもしれない。この流れはもしやと思ってる人がいるかもしれないが、別に変な商売の勧誘とかははじまらないから安心してくれ。安心と言えば(言えば?)お金があることは唯一目に見える安心なんじゃないかなと思う。もちろん、それは対外的な価値が保証され続ける前提なので、地球が滅亡するとか国が崩壊するとかあったら無意味だけど、これはこの際置いておいて。お金が全てではないけど、その価値を知っておくのは大事だし、なんとなくお金の話を避けたりするのはよくないんじゃないか?と…

ん?結局なにが言いたいんだ?

ちがうんだ。いや違くもないけど、つまりだな。現実的な嫌なことって貧しさくらいで、それ以外のことはどうにかなるんじゃないのって自分的には思うみたいなことを言いたかった気がするんだが、、、伝われ!(放り投げやがったぞ、こいつ)

結論。ニートじゃない(むかし引きこもりニートだったことがある)私はたまに高いチョコレートとか買って食べれるからわりと幸せなんじゃないかなってこと。

今日のことを笑い飛ばす未来が、

バチバチにメンタルやられてる時に自らとどめを刺しに行くような行為をしがちなのなんなの?
と、自問自答しながら、過去に潜り込み、鬱な曲を聴いて、きっと生きづらくて仕方ないんだって人の文章を読む。救いなんてないなと絶望しながら、現実からどんどん乖離しようとする。
戻れなくなるかも
という恐怖はもはやない。こんなの日常茶飯事すぎてある意味で自己コントロール完璧なんじゃないとすら思う。明日起きたらちゃんと仕事に行くよ。知ってる。
現実と折り合いの付け方を知ってしまった自分はなんてつまらない人間なんだと思うけれど、あの頃に戻りたいかと言われればそれは決してない。今日と明日と明後日と一年後も一年前もあやふやで毎日の境目がなくなるような人生は楽しくない。楽しくなかったから。
側から見たら退屈そうなありふれた毎日が尊いということ。それでも時々、人生ってまじわからんっていう出来事が起こるけど。良いことも悪いことも予告などしてくれない。明日、死ぬかもしれない。それはわたしにとっては今でも唯一の救いだけど。未来のことも考えるくらいには普通の顔して生きてる。
だからさ、浅ましくも幸せになりたいなんて願う。だけど、どうもまだ自分のために生きるのが苦手なようで。きみのために生きたいなぁと幻想を抱く。これは自己犠牲とかじゃなくてさ、とびきりのエゴなんだ。きっと理解されないけど、仕方ないなぁって笑って許してくれたらいいのに。そんなのはやっぱり無理かなぁ。でもでもだってさ、って終わりのない憂鬱な脳内会議の最後はいつもやけくそ。(さよならの準備なんてしてやるもんか)。好きなだけ自己嫌悪した夜は疲れ切って夢もみないから、きみには会えそうにないんだ。つまんないの。

さいごの日まで

なにかを選択することが嫌いだ。自らの過ちの責任から逃れ続けてハリボテの強さで大人の振りをする。きみに嘘をついているわけではないけれど。なにも暴かないでほしいと、愚かにも願ってしまう。呆れた顔をして許してくれることを知っていたし、正しさが全てではないとぼくだって思うのに。不安を数えてしまう夜もあるから、このまばゆい夜明けが万人への希望なんかじゃないように、ぼくらの明日が絶望かもしれないと思ってしまう。

なにも選びたくはないけれど
きみを諦めたくないんだ

出会ったときからの不安の意味をいま思い知る。運命に逆らって地獄に堕ちてもいいと云ってよ。きみが不本意な「だいじょうぶ」を口にする必要なんてないから。ただ震える手を握ってほしいんだ。

春の夜に告ぐ

ぼくら、いつだって足りなくて
こんなふうに苦しいならって
不幸を天秤に乗せてはその軽さを恥じた
綿毛みたいにいたいけな吐息ひとつで飛んでいってしまうね

きみが手を引いて踏ん張っても
ぼくが全体重かけたって
きっと足りやしないんだ
分け合えるものなどなにひとつなくて
一緒にしにたいねって戯れては眠るだけ

うつくしい夜を幾つ重ねても
この部屋はかなしみの匂いがする
えいえんに孤独だときみは笑うし
ぼくは途方もない深淵を覗き込む

それが愛だとだれかは歌うし
だれかは石ころみたいに蹴飛ばすし
少女はふーっと息を吹きかける

きみはひどく真摯な瞳で
あおぞらに舞い上がる羽根をみつめていた
少し震えた唇は音を綴らなくても
そっと伏せられた瞼がすべて語っていた

少し湿った睫毛が
この瞬間だけは世界でいちばんうつくしいと
ぼくはおもうんだ
きみはきっとずっとそれを知らないままだけど
握りしめた手の温度はいつもよりあたたかくて

ぼくらはいつもより少しだけ重たくなって
スキップしてみたりしても
もう飛んで行っていたりできないねって
夕焼けに照らされながら
うつくしい夜への帰路につく